皆さんは、「アニメの殿堂」を覚えておられるでしょうか?
正式名称は「国立メディア芸術総合センター」。15年程前に、日本のメディア芸術の振興を目指して政府が計画を発表しましたが、野党の反対にマスコミや世論も乗り、中止となりました。
しかし、今や日本のアニメは世界中の若者の人気を集め、eスポーツがオリンピック種目として採用される時代、このような展開は、当時想像できなかったとは言え、残念に感じている方は少なくないでしょう。
歴史的に我が国には、漫画の文化が脈打っているようで、今から900年以上前の平安末期の「鳥獣戯画」に始まり、江戸末期の「東海道中膝栗毛」へと引き継がれてきました。
お伊勢参りに出掛けた弥次さん、喜多さんという二人の江戸の町人が、東海道を舞台に繰り広げる滑稽で自由気ままな珍道中は、コミカルな挿絵の効果もありベストセラーになりました。そして、貨幣経済の発展が商人だけでなく農民の懐も少々潤したといった時代背景も相まって、一大旅行ブームに火を付けたのです。
当時、徳川幕府は地方の大名の反乱を恐れて、人々の移動を原則禁じていましたが、その例外は、「お伊勢参り」などの宗教行事と湯治などの医療目的の旅でした。それで「庶民の一生に一回の夢」とも言われた伊勢神宮
の参拝や成田詣、富士詣が流行したのです。そして旅の際には、仲間同士で「講」と呼ばれるグループを組み、旅費を積み立て、道案内や宿の世話をするガイド・御師(おし・おんし)が同行しました。
そのような時代にこの道中記は、東海道の名所や名物の観光・食べ歩きガイドとして人々を旅に誘ったのです。
一方、この社会現象を交通インフラという観点から眺めると、参勤交代のために整備された江戸五街道、とりわけその中核となった東海道は、宿場も充実していて、ツアー旅行のメインルートでした。
徳川幕府は、反乱軍が一気に江戸に攻め込めないよう、大きな川に橋を架けることを禁じていたので、欧米のように馬車は発達しませんでした。それで旅は徒歩が中心で、10数キロ毎、53か所も宿場が置かれたわけです。
余談ですが、「講」のメンバーは基本、男性でした。というわけで、宿場には飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれる遊女が侍り、神社仏閣の門前町には女郎屋が店を構えていたようです。何と伊勢神宮には1000人を超える遊女がいたと言われる程で札幌のススキノも顔負けですね!
さて世界に目を転じてみましょう。19世紀に起きた画期的な交通革命は、旅の大衆化を実現しました。産業革命の最中、ジョージ・スティーブンソンは蒸気機関車の実用化に成功し、鉄道の誕生させました。
1825年、世界で初めての鉄道が英国のストックトン-ダーリントンを走り、1830年のリバプール-マンチェスター間を皮切りに鉄道路線が続々と建設されました。
そして、1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会には、英国の主要都市間に張り巡らされた鉄道網を利用して、半年足らずの開催期間中に延べ600万人もの来場者が集まったそうです。これに新たに制定された鉄道法が最低運賃の客にも最低限のサービスを義務付け、庶民の鉄道旅行を後押しし、空前の旅行ブームとなったというわけです。
ところで、この鉄道の発達と旅行ブームから興味深い副産物が生まれました。
それは標準時。今でこそグリニッジ標準時は当たり前なものですが、この当時は英国内で地方毎にバラバラな
地方時間を使っていました。しかし、これでは列車の時刻表が作れないので標準時で統一することになったというのです。
旅の歴史は、太古の昔、獲物を追って旅した狩猟時代に始まり、古代から中世にかけては、信仰のために聖地に赴く巡礼の旅(*注)、そして近代に入るとレジャーとしての旅が主流となり、今日に至っています。
そして、それは交通手段や交通インフラとの相互作用を伴いながら歴史を積み重ねてきたと言えそうです。
交通の発達は、より多くの人が、より速く、より安く、より快適に移動することを可能にし、それによって旅する場所も地球規模に広がり、目的も多様化し、様々な旅を楽しめるようになってきました。
ここ北海道も札幌への新幹線の延伸が2030年に予定されています。交通の高速化は我々の1日行動圏を広げ、
観光地にも大きな影響を及ぼします。地域によっては必ずしもメリットにはならないケースもありますが、新幹線を北海道全体のプラスになるように上手く活用していきたいものです。
2030年を契機に北海道がさらに発展し明るい未来が実現するよう願います。
(*注)例えば、古くは紀元前1500年頃にイスラエル人男性は聖地エルサレムでの年に3回の祭りへの参加を神の律法(モーセの十戒など)で義務付けられていました。
2014年4月第1号 No.143
(文責:小町谷信彦)