広場の話題 4「広場の今昔~古代の都市広場と現代」

 昨年来のコロナ禍でテレワークとともにオンラインでのWEB講演会やセミナーが急速に普及しました。会場に出向くことなく聴ける手軽さや、多忙な講演者やパネラーでも遠く離れた場所からでも参加できる利便性は、一度経験すると捨てがたく、ポストコロナにおいても定着しそうです。
 さて、講演会と似たイベントにシンポジウムとフォーラムがありますが、その違いをご存じでしょうか?
 「シンポジウム」は辞書には「研究発表会」「討論会」とありますが、語源の古代ギリシャ語「シンポシオン(symposion)」は「酒宴」を意味し、討論会というよりはむしろ討論会後の懇親会に近いものだったようです。
 一方、「フォーラム」はラテン語の「フォルム(Forum)」、すなわち古代ローマの都市につくられた宮殿や元老院、神殿などに囲まれた「公共広場」を指していました。起源は交通の要衝に生まれた集落に商店などが立ち並んだ広場で、都市の成立とともに政治や裁判、市民集会、宗教儀式などの様々な市民活動がそこで行われるようになり、市民の日常生活の中心としての役割を果たしました。

 さて、このフォルム(都市の公共広場)の原型とされるのが、紀元前6世紀頃から古代ギリシャの都市国家(ポリス)でつくられた「アゴラ(agora;ギリシャ語)」で、広場の周りに評議会場や裁判所、店舗などが立ち並び、古代ギリシャの直接民主制の政治を支える重要な舞台となりました。
 そして目を中東に転じるとさらに都市の広場の歴史は古く、紀元前15世紀のイスラエルの諸都市では、城壁に囲まれた都市の入口の門の近くに広場が設けられ、市民の集会や情報交換、買物、裁判が行われました。ここでの裁判は、旧約聖書の律法に従って二人以上の証人の証言により裁判人が裁くというものでしたが、都市の入口広場は人通りが多く証人を探しやすく、また市民の監視の目も行き届くことから、公平・公正な裁きを行うために最適だったと言われています。

テッサロニキの古代アゴラの通廊(出典:Wikipedia)

 このように古代ヨーロッパや中近東の広場は市民生活と密着し、政治の舞台でもありましたが、中世以降はキリスト教会の隆盛、それに続く絶対王朝の成立と、歴史の流れの中で政治的な役割を失っていきました。
しかしながら、現代においてもその名残りがないわけではありません。17世紀からの都市国家の伝統を持つスイスは今でも直接民主制により連邦議会の決議や国民が作成した法案について、国民発議、国民審議、国民投票を行っていますが、地方自治を青空議会の住民投票で決議している州では現代版アゴラとも言える公共広場が生き残っているのです。

写真「スイス・グラールス州の州民集会」
(出典:Whikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Landsgemeinde_-_Glarus_2014_-_1.jpg

 また、ロンドン・ハイドパークの一角で1872年から続く「スピーカーズ・コーナー」も古代ギリシャの広場の伝統を受け継ぐものと言えるかもしれません。このコーナーでは、王室批判と政府転覆を煽る演説以外なら何でも自由に誰もが自分の主張ができるのです。この「言論の自由」を象徴するコーナーでは、カール・マルクス、ウラジミール・レーニン、ジョージ・オーウェルと言った歴史的人物も演説したとされ、現在では英国内や英連邦のオーストラリア、カナダ等のほか、オランダ、タイといった様々な国々の広場や公園にも設けられているようです。

 フォーラムは、古代の公共広場から室内ホールに移り、コロナ禍でWEB上に舞台を変えました。
 直接民主制から間接民主制に変わった現代、フェイスツーフェイスの市民議論ができるリアルの広場は、WEB上のバーチャルな広場(アゴラ)に姿を変えたと言えるかもしれません。
 時代の必要に応じて都市の広場の役割も変わるのは至極当然なことです。
 とはいえ、民主主義の原点である市民議論の場としての公共広場は、少なくとも顔の見える関係構築が不可欠なコミュニティの再生に関しては、重要なキーワードとして再評価したいものです。

2021年8月第1号 No.103号
(文責:小町谷信彦)