橋の話題31「記念の橋~平和の記念、戦争の記念」

公開

 パリオリンピックが盛況のうちに無事終わりましたが、これまでの開催都市と同様に、このオリンピックもパリに大きな足跡を残したことでしょう。
 半世紀前にさかのぼりますが、当社の地元・北海道でも、1972(昭和47)年の冬季オリンピック札幌大会では、当時としては最新技術のゴムタイヤやコンピューター管理を装備した地下鉄南北線が整備され、札幌の発展の起爆剤となりました。そして、フィギュアスケートの競技会場となった真駒内アイスアリーナ(現・セキスイハイムアイスアリーナ)も建設され、そこに繋がる橋の「五輪大橋」という橋名にもオリンピックの足跡が刻まれています。この五輪大橋、実はオリンピック開催の2年前に架けられ時には「北の沢大橋」と呼ばれていたのですが、オリンピックにちなんで改名されました。

 また、札幌市とドイツのミュンヘン市の姉妹提携15周年の1987(昭和62)年に事業着手したことを記念して命名された札幌のミュンヘン大橋も、実はオリンピックにまつわる橋ということはご存知でしょうか?
 そもそもの札幌市とミュンヘン市がなぜ姉妹都市となったのか、それは1972年のオリンピックが冬季は札幌、夏季はミュンヘンというご縁で出会いが生まれたのです。

ミュンヘン大橋(写真 秋野禎木)

 一方、この平和の祭典とはある意味真逆な、戦争にちなんだ名前が付けられている橋も多々あります。
 東京の隅田川の下流部に架けられた「勝鬨(かちどき)橋」は、日露戦争(1904~1905年)での勝利を記念して名付けられた「勝鬨の渡し」に替わる橋だったことから、「勝鬨」が引き継がれたのです。
 しかしその建設は多難な道程でした。1929年に予算が認められた翌々年の1931年に満州事変が勃発し、1933年に工事着手したものの、1937年には日中戦争が始まり、戦線は拡大。翌年、総力戦体制確立を目的とした国家総動員法が施行されると、戦略物資である鉄は国の統制下に入り、兵器増産に優先配分されました。そのため工事は資材不足で遅延し、橋の欄干を予定していた鉄から石に変えるなど、しわ寄せを受けたのです。その上、現在の晴海地区で1938年に開催する万博に合わせて開通という当初の予定が、戦争で万博が延期となったためにすっかり狂ってしまい、予定は遅れに遅れて、1940年にようやく開通に漕ぎ着けたというわけです。
 戦勝記念の橋が、戦争に翻弄されるとは、何とも皮肉な話ですね!
 とは言え、同時期に開通予定だった大型橋の曙橋(新宿区)は建設中止となり、完成したのが20年近く後の戦後1957年だったことを考えると、そうそう文句は言えません。

 さて、橋は戦争で重要な役割を果たしてきたことから、ヨーロッパにも戦勝にちなんだ橋は色々あるようです。

 例えば、凱旋門が設置されている橋が各地に残っています。その一つが、ローマ時代(2世紀初め)に建設されたスペインのアルカンタラ橋で、トレド観光のスポットにもなっています。
 ちなみに、アルカンタラは当時のベルベル人の言葉で「橋」の意味とか。するとアルカンタラ橋は「橋橋」?ちょっと笑えますね!
 数多くの戦争にちなんだ名前の橋もありますが、とりわけフランスの国民的英雄?ナポレオンにちなんだ橋は多いような気がします。オステルリッツ橋(アウステルリッツの戦い)、ウォーター橋(ワーテルローの戦い)、イエナ橋(イエナの戦い)等々です。

アルカンタラ橋(出典:ウィキペディア)

 ナポレオンの伝記を片手にヨーロッパの橋廻り、というのも一興かもしれません。
 ただ願わくば、私達の時代の橋は、戦勝を記念するのではなく、平和を祈念する橋が増えますように!

2024年8月第2号No.150
(文責:小町谷信彦)