土木にもある?文明、文化!
文明というと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?
私は学校の世界史で最初に習った世界4大文明を連想しますが、この4大文明、実は日本と中国でしか使われていないと知った時は少なからずショックでした。メソポタミアとエジプトが最初に栄えた文明というところまでは良いのですが、かなり遅れてインダス、黄河文明が登場し、同時代に長江やメソアメリカ、アンデス等でも文明が発達していたとのことで、「文明のゆりかご」と総称するのが学術的に正しく、国際的な言い方なのだそうです。
とは言え古代文明の多くが大河のほとりで誕生したという事実に変わりはありません。
ギリシャの歴史家ヘロドトスの「エジプトはナイルの賜(たまもの)」という有名な言葉の通り、ナイル川は、豊富な水と氾濫で運ばれた肥沃な土によって農作物の豊かな実りを生み出すとともに、豊かな生活用水と舟運による物資運搬と人の往来を実現し、エジプト文明の温床となりました。
しかし一方、豊かな恵みの源泉となった川は、周辺住民の命や農地への甚大な水害をももたらし、「水を治むるは天下を治むる」と言われたように、水の制御、すなわち「治水」は大変重要な地域問題でした。それで治水のための大規模な土木工事が行われましたが、他にも農地に水を引く灌漑施設や船の通行のための水路などの文明を支える基盤となる様々な装置が土木技術を駆使して造られましたので、古代文明と土木はコインの裏表の関係だったと言えるでしょう。
ところで、「文明」と似たような言葉に「文化」があります。
微妙にニュアンスが異なる「文明」と「文化」、その違いは何なのでしょうか?
辞書などで調べてみると「文明は特定の地域や年代に縛られず普遍的」、対して「文化は特定の地域、年代、歴史を表す」とか「文明は技術、機械、社会制度の発達。文化は学問、芸術、宗教の発達など」と様々な解釈が登場します。
大雑把にまとめると、「普遍的⇔地域的・独自的」「技術的・物質的⇔芸術的・精神的」、あるいは、「もの」⇔「こころ」「こと」という整理もできるかもしれません。
皆さんはどうお考えでしょうか?
実は本コラムで土木と文明や文化との関係に焦点を当てたのは、「建築文化」とは言いますが「土木文化」とはあまり言われないのは何故?という素朴な問題意識からでした。
その理由を考えてみると、一般的に建築は ①建築物のデザインが美的観点からの評価対象とされ、芸術作品と見なされる、②地域素材の活用などで地域性が反映され、地域固有の文化として認識される、というケースが多いのではないか。
一方、土木は ①土木工事のための技術(文明ではあるが文化ではない)、②基本技術は世界共通で普遍的、③土木構造物は美的対象ではなく、芸術作品たりえない、という認識が一般の方々には強いのではないかと思うのです。
しかし、土木構造物でも「土木遺産」と称される歴史的構造物は、その時代時代の地域の生活文化を支える基盤で、人々の知恵と「文化」の所産とも考えられるのではないでしょうか?
実際、世界文化遺産には、運河の町アムステルダムやカナダのリドー運河、「熊野古道」(「文化の道」というジャンル)、「石見銀山」(坑道は一種のトンネル)等、多くの土木構造物が登録されています。
そして、土木学会では、歴史的土木構造物の保存を目的として選奨土木遺産を顕彰していますが、①その文化的価値を社会にアピール、②将来の文化財創出への認識と自覚を土木技術者にアピール、③まちづくりへの活用 が制度創設の趣旨とされています。
さて、町のシンボルとして市民に親しまれている名橋の多くは、歴史的価値だけではなく優れた景観デザインのゆえに名橋と言われ、人々から愛されているのだと思います。優れたデザインの土木構造物は、優れたデザインの建築物と同様にその美的価値がもっと評価されてしかるべきではないでしょうか?
日本の景観行政の基本を定めた「景観法」は、第1条で法の趣旨を「美しく風格のある国土の形成を図る」と記しています。
土木構造物についても、風格ある美しい景観デザインを「土木文化」として後世に残し、「美しく風格のある国土の形成」に一役買いたいものです。
*「北海道の土木の話」では、「土木文化」に関連したテーマの論説文、コラムなどのご寄稿を随時募集しますので、関心のある方はご連絡ください。
(文責:小町谷信彦)
2020年10月第1号 No.85号