土木の話題44「インフラの力~鉄道と地域開発の歴史から」

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 いいのか悪いのかわかりませんが、この十年来、北海道は住宅地の地価上昇率の全国1位を独占し続けています。
 2024年は富良野のスキー場周辺エリア、2022~2023年は日本ハムファイターズの新球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」建設の影響で、地元・北広島市が全国1位、その前もニセコのスキー場の周辺エリアが6年連続1位でした。
 その評価は色々な見方があるとは思いますが、北海道のこの広大な大地に眠る膨大なポテンシャルに将来の希望を感じ取れませんか?
 高規格道路や新幹線は今や交通インフラの国家的スタンダード、その整備水準が全国標準以下の北海道は、その完成による伸び代は、想像以上に大きいものがあるかもしれません。

 一つの民間施設でさえ魅力があれば、このように大きな地域波及効果をもたらすのですから、鉄道や道路などの社会インフラは、もっと広域的かつ多面的に、産業や人々の暮らしに大きな効果を生み出します。
 歴史を遡るなら、江戸時代には東海道を筆頭に五街道が整備され、街道沿いに宿場町が誕生しました。そして明治に鉄道技術が導入されると、例えば、明治14年(1885年)に東海道線の一部、前橋駅-赤羽駅-品川駅間(現在の高崎線・赤羽線・山手線)の開通は、官営鉄道の品川駅-横浜駅と併せて、当時の主要輸出商品(生糸や絹織物)の産地と輸出港を結ぶ路線となり、産業発展に大きく貢献しました。
 さらに明治22年(1889年)に東海道線(新橋駅-神戸駅)の全線開通は、江戸から京都まで、これまでは徒歩平均11泊12日の旅だったのを、たった1日の行程に変えました。
北海道でも、明治15年(1882年)に幌内鉄道(小樽市手宮-三笠市幌内間)が開業し、幌内炭鉱から採掘された石炭を中心に、硫黄、木材、農・水産物、肥料等、様々な産業、生活、軍事物資が、小樽港から本州に輸送され、日本の近代化を支えました。そして北海道自体の人口も、明治から昭和の高度成長期までの100年間で100倍という急成長を遂げました。その中核となったのがこの石炭産業だったのです。
 ところで、「炭鉄港」という言葉はご存知でしょうか?
 空知の「炭鉱」、室蘭の「鉄鋼」、小樽の「港湾」、それらを繋ぐ「鉄道」を略してこう呼ばれるのですが、これらが今日の近代日本の礎となったのです。

 さて、明治後期には、国鉄による全国的な鉄道網の建設と同時に、都市部では民間による私鉄建設も盛んになりました。そして阪急電鉄を創設した小林一三は、鉄道敷設の際に沿線の土地を大規模に購入し、鉄道開業に合わせて宅地開発を行う方式、つまり鉄道事業と不動産事業を一体として進めるという地域開発を始めました。これは今では鉄道事業の常道ですが、当時としては画期的なことでした。
 明治43年(1910年)開業の阪急宝塚線がその第1号なのですが、終点の宝塚には、温泉(後に動物園と遊園地を併設)や宝塚歌劇場を新設し、家と職場を往復する通勤客のいない週末にも乗客を生み出すという斬新な手法も含めて、鉄道・宅地一体型の地域開発は戦後の東急、西武、京王等の私鉄事業のモデルとなったのです。
 ちなみに阪急電車の車両の色は、「阪急マルーン」という栗(マロン)に由来する茶色で統一されているのですが、これは創業時から使われていた色です。他の私鉄各社が戦後、戦前使っていた暗色系の色を嫌って、明るい色に変えた中、阪急はデベロッパーとしての鉄道事業者の始祖であることを誇りとし、伝統を守り続けているのだそうです。

 このような華々しい歴史を誇る鉄道も、戦後は交通・物流のインフラの主役を道路に譲りました。
 しかし、新幹線、リニアが国土全体に及ぼす効果は甚大で、地域活性化への期待の大きさは、今も変わりません。
 とは言え、新幹線の新駅に関しては、何故かこれまでの数々の事例で、新駅周辺エリアが町として発展したという話をあまり耳にしません。何とかならないものかといつも思います。
 今、小林一三に会うことができたなら、何か良い知恵はないか? 聞いてみたいものです!

2024年10月第1号No.153
(文責:小町谷信彦