大阪万博が始まりました。関係者の方々は、さぞや準備の遅れに気をもんだことと思いますが、開幕1週間が過ぎ、入場者数は、まずまずのスタートのようです。
大阪で半世紀ぶりの万博ということで、地元経済への期待は大きいのですが、さてどうなりますか?
万博の始まりはご存知でしょうか?
第1回は1851年のロンドン万国博覧会ですが、日本は江戸末期、2年後にペリーの黒船来航で大騒ぎになる直前の鎖国時代。この万博で話題を集めたクリスタルパレスなど、日本では誰も知る由もありません。
この世紀の大イベントは、英国の産業革命の偉業を世界に知らしめ、国威を発揚しましたが、それを支えたのは、当時整備されたばかりの国内・外の交通インフラでした。会場までの交通手段となった鉄道網、そして、南・北アメリカ、アジア、アフリカと世界中に分散する大英帝国の植民地間を繋ぐ定期船蒸気船航路、これ自体が、英国の誇る産業革命の成果と言えました。
またロンドン万博は、印刷技術の進歩による宣伝効果も相まって、141日間の会期に約600万人、当時の英国の総人口の3分の1にも相当する入場者を集め、興行的にも大成功。その収益で建てられ、今も現役のヴィクトリア・アンド・アルバートミュージアムやロイヤル・アルバートホールなどを見るとそれが相当なものだったことがわかります。
以来、欧州や米国で数年おきに開催が続きますが、とりわけ話題を集めたのが、1889年のフランス革命100周年第4回パリ万博で造られたエッフェル塔です。実はこれには裏話があって、フランス革命100周年に立憲君主国が拒否反応を示し、参加国が29しか集まらなかったため、大会を盛り上げる苦肉の策として、この目玉事業に巨費が投じられたとのこと。そしてこの設計公募に寄せられた700件もの案の中から採用されたのがエッフェル社の案だったのです。
この塔は、世界一観光客が集まる塔と言われるパリの顔ですが、万博が街を変えた代表例と言えるかもしれませんね。
ところで「万博」は、正式には、国際博覧会条約に基づいて博覧会事務局(BIE)に登録又は認定された「万国博覧会」なのですが、欧州、米国、オーストラリア以外で開かれるのは、1970年に大阪で開かれたEXPO’70が初めてでした。
この最初の大阪万博は、開催テーマ「人類の進歩と調和」を多くの国民が信じていた高度成長期の最後の時代で、半年の開催期間で入場者数約6,400万人と、当時、万博史上最多を記録しました。
その6年前には東京オリンピックが開催されたのですが、それを契機に東海道新幹線、首都高速道路や羽田空港の拡張、東京モノレールなど、交通や都市基盤が急激に整備され、都市が発展した東京ほどではありませんが、大阪も万博に合わせてインフラ整備が進みました。新御堂筋や3本の環状線など、現在の大阪の骨格となる主要道路の整備、地下鉄の新設・延伸や私鉄各線との相互乗り入れ、日本初の大規模ニュータウン「千里ニュータウン」の建設など、大規模事業が完成しました。そして大阪府の人口が、’70年 666万人、’75年 828万人、’80年 847万人と順調に増加したことから地域波及効果を垣間見ることができます。
時は流れて2025年、今回の万博でも、会場周辺の地下鉄延伸や高速道路の整備、関西国際空港・阪神港の機能強化、都心部の拠点開発など、大阪・関西経済の活性化を下支えするインフラが集中的に整備されました。そして未来社会に向けての様々な企画や発信が始まりました。
この万博が、大阪、関西、日本そして世界に何を残すのか?
また、かつてパリ万博が、エッフェル塔を産み出し、そこで金賞を受賞したボルドーワインやバカラ、ルイ・ヴィトン、エルメス、ティファニーが世界のブランドに成長したように、大阪万博からも何かが始まるのでしょうか? 期待したいものです!
2025年4月第1号No.163
(文責:小町谷信彦)