選奨北海道土木遺産
11月18日は土木の日です。その由縁をご存知でしょうか?
「土木」の「土」と「木」という2つの文字を分解すると「十と一」と「十と八」になることと、土木学会の前身の「工学会」創立が明治12年11月18日という2つの理由からなのです。
「土木の日」は、土木学会が制定した記念日ですが、一般市民に土木と触れ合い、土木技術および土木事業に対する認識と理解を深めてもらいたいということで11月18日から24日までを「くらしと土木の週間」とし、全国各地で国・地方公共団体、業界団体及び市民団体などの主催・共催による各種イベントが開かれています。
土木学会北海道支部でも、2000年(平成13年)から歴史的に価値ある土木構造物を貴重な財産として後世に伝えようと「選奨北海道土木遺産」を認定しています。
「土木の日」に因んで、その幾つかをご紹介しましょう。
まずは、記念すべき第1回に認定された土木遺産「小樽港北防波堤」(明治41年(1908年)完成)です。
これは、ご存知の方が多いと思いますが、「日本近代港湾建設の父」とも称される廣井勇が手掛けたもので、完成後100年以上を経た今なお、建設当時からの姿で小樽の港を守り続けています。
当時としては画期的だったこの日本初のコンクリート製長大防波堤は、火山灰を混入して強度を増したコンクリートの開発、斜塊ブロックという独特な工法、広井公式として現在も使われている波圧の計算法等々、知恵と創意の結晶でした。
完成当時の北防波堤(北海道開発局小樽開発建設部小樽港事務所所蔵)
波浪に耐える北防波堤(北海道開発局小樽開発建設部小樽港事務所所蔵)
斜塊ブロックの現状(北海道開発局小樽開発建設部小樽港事務所所蔵)
次に土木にあまり関心のない方でも楽しめる北海道ならではの土木遺産をご紹介します。
その一つは、十勝の池田町にある「千代田堰堤」(昭和10年(1935年)完成)です。
農業灌漑のために造られた、長さ169メートルという北海道随一の規模を誇る堰堤で、十勝の大規模農業発展の礎を築いた施設です。
9月から10月にかけてサケが群れをなして遡上し、高さ6メートル余りの堤にジャンプして上ろうとしている圧巻の光景は、まさに北海道の秋を実感させます。
サケの遡上(出典:北海道開発局帯広開発建設部HP)
最後にご紹介したいのは、稚内の北防波堤です。小樽港と同じ「北防波堤」なので紛らわしいのですが、こちらはドーム型の特殊な形状から「北防波堤ドーム」(昭和11年(1936年)完成;昭和55年復元)と呼ばれています。
明治時代まで小さな寒漁村にすぎなかった日本最北の地、稚内は、鉄道の開通で南樺太(サハリンの日本領)への玄関口としての重要性が認識され、大正9年(1920年)に近代的な港湾の建設が始まりました。
しかし、当初築いた高さ5.5mの防波堤では、強風と高い波浪による越波を防げず、岸壁からの転落事故も生じたため、現在の屋根付きの構造が考案されたのです。
この施設は、当時の稚内港湾事務所長の平尾俊雄のアイディアを基に、部下の土谷実(北海道帝国大学土木工学科の教授だった廣井勇の第一期生)が、具体的に設計し、施工・監督して実現したもので、「平尾・土谷の合作」とされています。
言うなれば機能的な必要から生まれたユニークな施設なのですが、柱と柱の間の桁を水平からアーチに変更するという土谷実の豊かなデザイン力が、古代ギリシャ建築のエンタシス風の70本の柱列による優美なドーム形状を生み出し、今日の記念撮影スポットとしての観光客の賑わいに繋がっています。
余談ですが、このドームの完成後、大正12年(1923年)に稚内・大泊(樺太)航路の運航が始まりますが、当時は現在の南稚内駅が鉄道の終着駅で、乗客は船着き場まで1.6kmも寒風吹きすさぶ中、歩かざるを得なかったそうです。その後、鉄道が昭和3年に稚内駅まで延伸され、さらに昭和13年には稚内桟橋駅も設置。乗客は列車を降りて、そのまま連絡船に乗車できるようになったのです。
近年、「公共交通のシームレス化」、すなわちバリアフリーでのスムーズな乗り継ぎという交通施策がクローズアップされていますが、戦前の最北の地でこんな先進的な取組が実現していたのは驚きです。
選奨北海道土木遺産は、現在、44か所が認定されていますが、北海道を車で廻られる際にちょっと寄り道されると思いがけない発見があるかもしれません。
(文責:小町谷信彦)
2019年11月第1号 No.64号