歴史の舞台となった川(海外編)
前回のコラムに引き続き、歴史の舞台となった川のお話しですが、今回は日本から離れ、海外に目を向けてみましょう。
時は、日中戦争初期、1938年に年に中国国民党軍が起こした「黄河決壊事件」はご存知でしょうか?
かなりショッキングな出来事ですが、中国中心部に進軍しつつあった日本軍を食い止めようと国民党総裁の蒋介石は、雨季で増水した黄河の堤防を爆破して開封一帯を水没させ、一説では水死者100万人、被害者600万人とも言われる未曽有の人災、あえて記せば戦術を用いたのです。その際に、日本軍は地元の中国人とともに被災住民の救助活動や防水作業に当たったのですが、国民党軍は日本軍のみならず自国住民にも航空機や地上から射撃したとのこと。そればかりか国民党軍は、堤防の爆破は「日本軍の暴挙」という偽情報を世界に発信し続けたというのですから、呆れて開いた口がふさがりません。
テロリスト集団がダムを占拠してダムを破壊すると脅し、人質のダム職員と下流の数十万の住民の命の代償として巨額の身代金を要求、それに立ち向かうヒーロー、というドラマチックな邦画(「ホワイトアウト」原作小説:真保 裕一著)がありましたが、映画ではめでたく阻止された悪だくみが、現実に実行されてしまったのですから恐ろしいこと。
前回ご紹介した秀吉の水攻めは、敵を降伏に導き、城主の首だけで双方の兵の流血を避けた人命尊重の軍事戦術だったのとは対照的に、黄河決壊という「国民党の暴挙」は、一般民衆の多くの命を引き換えにした最低最悪の軍事戦術だったのではないでしょうか。
時間をさらにさかのぼると、今から2500年ほど前にも同じように川の流れを変える戦術がありました。しかし、水攻めとは正反対の戦(いくさ)です。
時の王朝、アケメネス朝ペルシャの初代国王キュロス2世が新バビロニア王国の首都バビロンを攻略した時の話です。バビロンは、ユーフラテス川のほとりに立地し、都市全体が重厚長大な城壁と濠によって守られた難攻不落の城塞でした。「不死身の1万人」と呼ばれ恐れられたキュロスの大軍団でもその攻略は容易ではないと思われましたが、いとも簡単に陥落してしまったのです。その決め手は、川の流れの制御。ユーフラテス川を上流で堰き止めて濠の水を干上がらせてしまったのです。さらに、堅固な守りを過信して宴会に興じていたバビロンの人々の驕りと城門の鍵を閉め忘れるという失策も重なり、バビロンは実にあっけなく一夜にして滅ぼされてしまったのです。
ところで、この史実には興味深い裏話があります。キュロス2世によるバビロン攻略の約150年前までに預言者イザヤによって書き記されたとされる旧約聖書のイザヤ書にはこんな記述があったのです。「キュロスという名の人がバビロンを征服しユダヤ人を開放する」、「ユーフラテス川が干上がり、開け放たれた都市の門から攻め入る」という預言です。
そして、この「ユダヤ人を開放」は、世界史の授業でも習うB.C.537年の「バビロン捕囚」のエルサレムへの帰還という歴史的事実とも合致します。
ちなみに、「預言」と「予言」の違いはご存知でしょうか?
ヒントは、「モーセの預言」と「ノストラダムスの大予言」の「よ」という漢字の違いを訓読みから考えてみてください。
答えは、「預言」は「神から預けられた言葉」、一方、「予言」は「未来を予想した言葉」です。
かつて一世を風靡したノストラダムスの「1999年に人類は滅亡する」という予言は、壮大なるデマで終わりましたが、一方、「バビロンは永遠に荒れ果てたところとなる」という今から2700年余り前に書かれた聖書の預言は、メソポタミア文明の中心地バビロンだけが世界四大文明の発祥地の中で唯一、今なお荒れ果てた砂漠のままという現状に思いを巡らすと、現代のミステリーと言えそうです。残念ながら「このミステリーがすごい!」には選ばれませんでしたが、聖書を紐解くと現代文明との関わりがもっと見えてくるかもしれませんね。 (N.K)
2018年3月2号