渋谷川 ~戦後、東京の川がたどった道~
太平洋戦争は、日本人の心にだけではなく国土全体に大きな傷跡を残しましたが、とりわけ東京は焦土と化し、戦災残土の処理は戦後の大きな課題となりました。そこで、東京都は、都心部の水路を戦災残土で埋め立て、新たに生まれた土地を売却して事業費を捻出するという一石二鳥の名案を考え付きました。一方、川を暗渠(あんきょ)という見えない川にして整備が必要とされていた下水道の役割を担わせるというアイディアも検討されました。
いずれにしても、東京都心部の川は汚くて臭い無用の長物と見なされていたのです。
そのような戦災復興事業に続いて、1964年の東京オリンピックの開催は、川の暗渠化の動きに拍車をかけました。
さて、首都圏に在住の方でも、渋谷駅のすぐ横を渋谷川が流れていることをご存知の方は少ないかもしれません。数年前に取り壊されましたが、渋谷駅東口の東急百貨店東横店東館は、地上階だけで地下階のない全国的にも珍しい建物でした。また、1階のエスカレーターが周りのフロアーより一段高くなっているのを不思議に思われた方も多かったことでしょう。その理由は、建物の下を渋谷川が流れていたからです。
最近、キャットストリートという愛称の歩行者天国の通りが若者や内外の観光客の人気スポットとなっています。渋谷から原宿に抜ける曲がりくねった裏道で、その路地的な風情が若者に受けて、90年代半ばから古着系やインディーズ系を中心とした個性的な店が集まり、「ストリート系ファッションの聖地」とも言われるようになりましたが、その正式名称は「旧渋谷川遊歩道路」。実は、通りの下を渋谷川が流れているのです。
ちなみにキャットストリートの名前の由来は、「猫の額のように狭い通りだから」、「猫が多いから」、「"ブラックキャット"という音楽バンドが生まれた土地だから」など諸説あり定かではないようですが、さらに時間を遡ると興味深い歴史が浮かび上がってきます。
時代は約400年前、徳川家康が伊賀忍者の一族郎党を住まわせたのがこの地の始まりで、忍者の隠れ里という意味の「隠田」という地名がつけられたとのこと。江戸時代のこの界隈は、渋谷川で精米や製粉のための水車が回る、のどかな農村だったようで、当時の情趣溢れる風景が葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ「隠田の水車」に描かれています。
また、我々の世代には懐かしい小学唱歌「春の小川」は、一説では原宿の隣の代々木を流れる川骨川(渋谷川の支流の宇田川の支流)の情景から歌詞が作られとも言われています。その真偽は不明ですが、少なくとも明治末期のこのあたりでは、メダカやコブナが小川を泳ぐ童謡の情景が楽しめたようです。
そんなノスタルジックな「春の小川」の世界は完全には再現できないまでも、都会のオアシスを創出すべく、臭いものにフタだった渋谷川に日の光を当て水辺を再生するプロジェクトが進められています。完成のあかつきには、渋谷の新しい魅力となることは間違いありません。楽しみなことです。
今や東京などの大都市では、消えた川を「見える化」する水辺再生プロジェクトが始まり、一方、北海道では、直線化された川を曲がりくねった元の姿に戻す「蛇行復元」など、自然再生プロジェクトが行われる時代。
「神は田園をつくり、人は都市をつくった」という英語の格言がありますが、人は自然に回帰したいという本能的願望を心の内に秘めているのかもしれません。
(文責:小町谷信彦)
2018年9月第3号 No.39