「2040年、道路の景色が変わる」、これは国土交通省が2020年6月に社会資本整備審議会道路分科会基本政策部会の提言としてとりまとめた報告書のタイトルです。副題は「人々の幸せにつながる道路」とあり、これまでの官庁らしからぬ柔らかいネーミングにも新たな道路づくりへの発想の転換が感じ取れます。
この提言のキーワードは「デジタル化」と「交流」です。現代を近年のデジタル技術の進展など、技術革新により、人・モノ・サービスの移動の効率性、安全性、環境性、快適性等を極限まで高めた道路に「進化」するチャンスと捉えつつ、「幸せ」には、他者との「交流」が重要な意味を持ち、道路を人々が滞在し交流できる空間に回帰させることも求められる、としています。これまでにない斬新な視点と言えそうですね。
とりわけ、公園づくりを一応専門とする私としては「5つの将来像」の2つ目に描かれている「公園のような道路に人が溢れる」に注目しています。そして、道路業行政の目指す「持続可能な社会の姿」と「政策の方向性」で挙げられた、「行きたくなる、居たくなる道路」「交通事故ゼロ;安全性や快適性が確保された歩車共存の生活道路」「世界の観光客を魅了する公園のような道路」に関心を寄せてしまいます。欧米の先進的な国々では一足先に浸透している「道路は車だけのモノではなく、人が楽しむための空間でもある」という考え方が日本でもようやく認められる時代が来たのかと感無量です。
思えば私の幼少時代には、余程の街中でなければ、家の前の道路にチョークで絵を描いたり、路上でキャッチボールや縄跳びをしたりという遊びがどこでも行われていました。今のように公園はありませんでしたが、道が遊び場で誰の土地かわからないような原っぱも格好の遊び場でした。
いつの頃からか車の往来が激しくなり、道路の遊び場としての機能は消え、人は道路の端を車の邪魔にならないよう歩くのが都会人のマナーになってしまったのです。
そういう状況の中で「歩行者天国」(略称「ホコテン」)は、時間限定とはいえ、歩行者が道路の主役の座を取り戻したという意味では画期的な取組でした。その先駆けとなったのが旭川市の「平和通買物公園」で、1969(昭和44)年に実施された12日間の実験が日本で初めての歩行者天国とされています。もっとも、その起源については1887(明治20)年の神楽坂(東京都新宿区)の縁日が最初だという説もあるようですが、大規模に実施されたのは旭川が初めてで、その翌年1970年に東京の銀座、新宿などで実施されたのが引き金となって、全国に広がったようです。その上、1972(昭和47)年には日本で初めて歩行者天国を常設化した「平和通買物公園」が誕生しますので旭川は歩行者天国のパイオニアと言っても過言ではないでしょう。
平和通買物公園(旭川市;撮影者 檜(HINOKI)、2009年)
この歩行者天国は1980年代に入ると東京の貴重な自由空間として、ユニークな若者文化を育てる舞台となりました。この頃からホコテンと呼ばれるようになった東京・原宿の歩行者天国にラジカセを囲んでステップダンスを踊る竹の子族、ローラースケートでパーフォーマンスを競うローラー族が集まり、80年代後半には路上バンドの競演の場ともなりました。そして、2000年代の秋葉原ではコスプレーヤーなどによる路上パーフォーマンスも話題を集めました。
歩行者天国は道路の景色を変えました。路上にはパラソルやベンチ、仮設店舗、テントが並び、パーフォーマーも集まり、日常とは違う道路の景色が楽しめます。
一方、欧州では中心市街地の道路は完全に歩行者専用道路にして歩いて楽しめる道路に変える取り組みが進み、日常の道路の景色が変わってきたようです。LRTなどの都市交通や周辺の駐車場とセットで都市を計画し、市民の利便性と快適性を両立させているのです。
また、米国でも道路の一部に常設のカフェを設けたり、公園化するパークレットや様々なタイプのモール(歩行者専用空間)が整備され楽しく歩けるまちづくりが進められています。
そして、遅ればせながら日本でも東京・有楽町の駅前道路の広場化や札幌でも旧北海道庁赤レンガ庁舎前の道路の広場化(北三条広場(愛称アカプラ)といった取り組みは、人々が賑わう新たな道路の景色を生み出しています。
「2040年、道路の景色が変わる」の提言が20年後に実現し、日本中に「人々の幸せにつながる道路」が生まれることを楽しみにしたいと思います。
札幌市北3条広場(アカプラ)
2021年10月第2号 No.108号
(文責:小町谷信彦)