皆さんは、「弾丸道路」と言われる道路はご存知でしょうか?
戦前・戦後の一時期、高速道路のことをこう呼んでいた時代もあったようですが、北海道の方なら、戦後まだ日本が米国のGHQ(駐留軍)の統制下にあった朝鮮戦争の最中、軍用道路として整備された国道36号札幌・千歳間を思い浮かべる方は少なくないでしょう。
この弾丸道路という通称の由来については、米軍の弾丸の輸送路として造られたからという説やGHQの至上命令で工期13か月という弾丸のような突貫工事だったからという説、高速道路並みに弾丸のように走れる道路説と、諸説あって定かではありません。ただいずれにしても、北海道の戦後の道路づくりの技術的基礎を築いた金字塔として今なお高く評価されている道路なのです。
その弾丸道路も昨年11月で完成70周年を迎え、現在は道都・札幌と北海道の空の玄関口・千歳空港とを結ぶ北海道の大動脈としての役割を担い続けています。
このように道路の歴史をたどると、当初は軍事目的で整備された道路が、産業や生活の基盤としての役割にシフトしていくというケースは珍しくありません。
古くは、東海道53次でお馴染みの東海道も徳川家康が宿場を設け、本格的に整備したのは軍事のためでした。関ヶ原の戦いで勝利した家康は、全国統一を果たすために、家康の拠点である江戸と、朝廷のある京都、豊臣氏の居城のある大坂との連絡を迅速に行うためにこの街道を整えたのです。古代ローマのローマ街道も反乱軍に速やかに兵を差し向け、鎮圧できるように広大な帝国内に街道のネットワークを張り巡らしたのです。
古今東西を問わず、どうやら国の権力者が考えることは同じようですね。それでも、当初の目的はさておき、結果的にどの道路も社会と人々の暮らしに役立ってきたので結果オーライと言えそうです。
さて、そんなことを考えながら現代に目を転じると、道路の話ではないのですが、随分、軍事のために開発されたものが転用されて生活に役立つツールとして活躍している例が目につきます。例えば、戦場での非常用食料として開発された缶詰から始まって、最近ではパソコン、IC、光ファイバー、携帯電話、インターネット、GPSと実に様々なのですね。面白いのは、ボールペン。普通のペンは高い上空では重力が小さいのでインクが落ちなくて使えないのだそうで、毛管現象でその弊害のないボールペンが開発された当時、英国や米国の空軍で引っ張りだこだったとのこと。トレンチコートも第1次世界大戦中に長期にわたった塹壕(トレンチ)での戦いに耐えられる防水コートとして開発された軍服がデザイン化されてお洒落着になったのです。
ところで、このように軍需産業を自動車、家電といった民需産業に転換することを「軍民転換」と言うのですが、英語では“Swords to ploughshares”(「剣(つるぎ)から鋤(すき)へ」)と言うとのこと。そしてこの言葉は、今から2,700年以上前に書かれた旧約聖書の言葉から採られたものなので、ご参考までにその全文をご紹介します。
「彼らは剣をすきに,やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。」(イザヤ2章4節)
実は、この言葉はニューヨークの国連広場の壁にも刻み込まれていて、世界の平和を目指している国連の願いが込められているのでしょう。ただ同じ国連広場に、東西冷戦最中の1959年にソ連(現ロシア)から寄贈された「剣から鋤へ」というタイトルの彫像が、ロシアがウクライナに武力侵攻した今もなお設置されているのは、何とも皮肉なことです。
ちなみに、この聖書の言葉は、「終わりの時には、戦争や災害、感染症の流行、食糧危機が同時に起こり、その後に神は悪を滅ぼし、善人だけの平和な世界を地上で実現する」という神の預言の一部です。
しかし、もし仮に国連が望むような「剣が鋤に変わる時代」が来たとしても、中世の日本で鋤や鍬(くわ)を手に農民が一揆を起こしたように、人々皆の心が変わらないと究極の平和は訪れないということなのかもしれません。
「戦いを学ばない」人達が平和に仲良く暮らす世界の到来を待ち望みたいと思います。
2024年2月第1号 No.141
文責 小町谷信彦