一里の違い
最近はドライブするにも事前に地図を見てルートを決めることも少なくなり、カーナビに住所や電話番号を入力するだけで的確に案内してくれるようになった。
「この先700mで左折です」などという人工の音声案内にも慣れきってしまっている。いざ、自分で誰かに道を教えようとしても、上手に知らせることができない。万が一、高速道路で故障などしたらどうやって位置を知らせればいいのだろう。
そんな時には道路の端に100mごとに数字が記された表示板がある。それが「キロポスト」だ。
例えば、道東道であれば千歳恵庭JCTを起点にEで始まる数字が書いてある。
写真は「E92.2」 千歳恵庭JCTから92.2㎞の地点。この次の表示は「E92.3」になる。
この「キロポスト」と同じ役割をしていたのが「一里塚」だ。
札幌の地名で「里塚」というのがある。もともとは、札幌の中心部から三里の距離にあり「三里塚」という塚が築かれていた場所だ。今でも三里塚小学校、三里塚神社があり古い時代の「里」という距離感が分かる場所である。
ところでこの「里」という距離を測る単位は東アジアで広く使われていた尺貫法によるものであるが、同じ「里」だからといって中国、韓国、日本で同じ距離、長さということではないらしい。さらに同じ地域でも時代によって違いがあるのだ。古書を探り歴史を調べると、こういう共通の単位が実は違う尺度であることに驚かされたり、誤解を生んだりすることがある。
中国では紀元前の周の時代からこの「里」が使われていたという。ただしそれは長さではなく、広さだったそうだ。「里」は300歩四方の面積だったのだ。それが、漢の時代には、300歩四方の1辺の長さを表す「長さの単位」になったという。300歩が1.3m×300となり、凡そ400mを表す単位となったのである。時代とともに500m前後になったりもしたが、1929年に1里=1/2㎞=500mとなった。
日本ではどうだったのだろうか。この「里」が出てくると学校の授業では、人が一時間に歩ける距離を「里」と言い約4㎞と教わった記憶があるが、時代によっては1里=約4㎞ではなかったようだ。
この「里」が日本に入ってきたのは、今から千数百年も前のこと。律令制を中国から取り入れたので、大宝律令(701年)のころの「里」は、300歩=約533mと推定されている。
しかし、歩く距離を元に500m前後を計測するのは今の時代でも意外と面倒なことだ。家庭にメジャーがあったとしても裁縫用なら2m、工作用であれば3m、ちょっと技術系の仕事をしている人には5mのメジャーがあるかもしれない。小学校のグランドで運動会用にトラックを白線で作るにしてもせいぜい100mのメジャーだ。
300歩というのも、万歩計もない時代には「あれ?280歩だっけ?281歩だっけ?」となったことだろう。そもそも、歩きはじめの元気な時と疲れている時では歩幅も違う。
この「里」をしっかりと決めたのが豊臣秀吉と言われている。秀吉は36町≒3927mとし、全国の「里」を同じ基準にしたという。そして江戸時代になり全国に「一里塚」が設置されたという。札幌の三里塚は江戸時代に整備されたものではないが、その考え方の名残であるのだ。
ところが、同じように中国から多くの文明を取り入れた朝鮮半島では、基準にしたのが「周尺」という20センチほどの短い「尺」であったそうだ。そこから導き出される「里」の式は、1歩は6尺、360歩を1里とし、1里=432mという時代もあったのだ。
同じ「里」でも現代のメートル法に直すと時代、地域によって長さが違うことがある。そして、時として古い文献に残る距離の単位が国と国の誤解につながることもあるようだ。歴史を紐解くのはなにも歴史学者だけの仕事ではなく、ひょっとすると数学者や建築、土木の知見も必要なのだろう。
寄稿 札幌市 上野 貴之
2018年11月第3号 No.45