道路の「啓開」について
「啓開」という言葉をご存知でしょうか?
建設関係や土木系の方であればご存知の方は多いと思いますが、「けいかい」とパソコンに入れて変換しても変換されないことからして、それ程まだ一般化していないのでしょう。
辞書には、①きりひらく、②水路の障害物を除いて船が航行できるようにすることとあり、主に水路に関して使われていたようです。しかし、東日本大震災の発災直後、緊急車両等が通行できる救援ルートを確保する「道路啓開」という言葉がニュースでも流れていましたので、それで知った方も多いのではないでしょうか?
それもそのはず、「啓開」は関東大震災に発動されて以来、戦後は一度も発動されたことがない非常事態対応体制だったのです。皆さんが知らないのも無理ありません。(恥ずかしながら、私もその時、初めて知りました。)
当時、道路啓開が、国土交通省東北地方整備局の指揮の下、宮城県や自衛隊との連携により進められ、震災の翌日3月12日に被災地に救援物資の搬送や救急要員の移動に使える11ルートが確保されたというニュースが流れると、その迅速な対応に大きな賞賛の声が上がりました。
この成功の裏には、東北地方整備局トップの徳山日出男局長の英断があったとされています。
徳山局長は、情報が上がってこない太平洋沿岸に甚大な被害が生じているに違いないと確信し、まず11日の夜の大畠章宏国土交通大臣とのテレビ会議で「啓開」という特殊モードでの対応の許可を得ました。そして、即座に地元建設業者を結集して52のチームを編成、啓開ルートを被害の少なかった内陸部から沿岸部への16ルートに絞り、縦軸の主要幹線道⇒横軸の幹線道⇒海岸沿い道路、と順次「くしの歯型」に道路啓開を進めたのです。
徳山局長の読みはまさに的中し、後に自ら「くしの歯作戦」と命名したこの道路啓開の手順は、その後、全国で策定された大規模災害時の道路啓開計画のお手本とされるようになりました。
また、大畠大臣からは「人命救助が第一義。徳山局長の判断を私の判断として、国土交通省の所掌にとらわれず、予算を気にせず、やれることは全部やりきること」という指示があったとのことです。
ともすると、船頭多くして船山に上るになりがちですが、タイムリーに的確な判断が出来るのは一番状況がわかっている現場と考え、権限を委ねた大畠大臣の対応もさることながら、被災自治体からの棺桶の要望にまで応えた徳山局長の徹底した地元配慮は危機管理、災害対応のまさにお手本と言えるでしょう。
余談ですが、道路がほとんど管理されていなかった古代においても、災害時の啓開とは少し違いますが、「道を整える」という言わば平時の啓開が現在のシリアからイスラエルにかけての中東地域の道路では行われていました。それは、王が旅に出る際に家来が前もって道の大きな石を取り除き、土手道を築いたり、丘を平らにしたりといったことで、今の道路整備と道路管理の中間的なものだったようです。ちなみに、「道を整える」は、聖書にも登場しますが、こちらは人間の道ではなく神のため、あるいはキリストのための道を意味する比喩的表現で別物です。
さて、道路は遮断されると改めてその重要性が再認識されますが、啓開作業には大変な困難が伴い、地元建設業者の頑張りが欠かせません。
平成29年7月に発生した九州北部豪雨は福岡県北部に甚大な被害をもたらし、ライフラインである国道211号も大打撃を受けました。そして、管理する九州地方整備局は地元業者と一体となって24時間体制での復旧作業に当たりましたが、その様子をまとめた冊子「国道211号啓開の記録」は、その奮闘ぶりを感動とともに伝え、土木学会の広報大賞を受賞しました。
インフラ施設は、普通に機能しているのが当たり前で、いわば空気のような存在ですが、それを縁の下で支えている建設業の人達にも、時にはスポットライトが当たる機会があれば、と思わなくもありません。
私たちの住む北海道でも日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の発生が懸念されています。
今年(2020年)は、それを想定した道路啓開計画も北海道開発局によって策定され、危機管理体制が整えられつつあります。
弊社も一昨年の東胆振大地震の際には、地元江別市の上水道配水への協力や指定管理者としての公園の復旧のほか、地元住民への井戸水の供給など、災害時の地元支援に一定の役割を果たしましたが、今年度は、非常用電源を新設し、微力ながら地域における災害支援に一層貢献すべく、拠点機能の充実・強化を進めていきたいと考えているところです。
(文責:小町谷信彦)
2020年6月第1号 No.78号