駅 Station を訪ねて ~北海道ファンから(Ⅱ)
東京大学 名誉教授 篠原修

1.ススキ野、夜
佐藤先生行きつけのバーのカウンターで喋っていた。もう一杯、と頼むと「ここのビルの中にはトルコもあるのよ」と言うのだった。「それよりもステーションは見た?」と尋ねると、「見たよ、あれはよかった」と応じたのはママではなく佐藤先生だった。舞台は確か増毛だった筈だ。「どの位かかるのかな」、日本海の町だとは知っていたが、行った事がなかった。「明日はなんかあるんかい」と聞くので、「なんも」と答える。「じゃあ行くか」。これで話は決まった。車は俺が出すと言うのだった。
これがいつの頃だったか、全く思い出せない。本棚から倉本聰「駅STATION」理論社を引っ張り出す。発行日は1981年12月、第6刷。「本書は1981年11月東宝映画で制作公開される映画のシナリオです」とある。昭和56年の秋か、筑波の土木研究所に行っていた時か、と思う。ススキ野での会話は57年の春か夏だったのだろう。もう40年も昔である。

2.国道231号
迎えに来た車に乗ったのは、僕と後輩の天野光一。運転は佐藤馨一、僕らは親しみを込めてケイちゃんと呼んでいた。石狩川を渡って、日本海の海岸沿いを北へ淡々と走る。海は黒い。北海道の海はいつもこうだ。あれは厚田村だったのだろうか、峠に差し掛かって昼飯にしようと言う。砂利道の車に酔ったせいか、昨夜飲みすぎたのか、気分は優れなかった。ポツンと有った店に入り、握りを注文する。「旨い」。「そりゃあ、そうだろう。今朝そこの海で取ったんだから」と親父は言うのだった。こんなに旨い寿司は食った事が無かった、これ以降もないだろうと、未だに思う。北海道は「材料は」抜群なのである。

3.増毛
現在の道路地図を見ると国道231号は厚田村、浜益村と抜けて、雄冬に到る。雄冬からさらに北上して増毛へ、そして留萌に着く。ただし、これは後の話で、我々が行った時は増毛、雄冬間の道路は開通していなかった。だからその時はどこかで内陸に入り、ぐるっと廻って増毛駅に行った筈である。増毛と言う駅は、函館本線の深川駅から出ている留萌本線が日本海に出て留萌駅に到達し、そこから更に海岸沿いに南に下がってやっと着く終着駅なのだった。「だった」と書かねばならないのは、廃線になってしまったから。北海道では至るところで廃線になっているのだ。
終着の増毛駅で記念撮影。それから街に歩きだした。街と言っても店は殆どない。ウロウロしていると、地元の人らしい叔父さんがやって来て、「何しに来たんか」と言う。「ステーションの現場を見に来た」と言うと、「いやいや、それはご苦労な事で」と言い、案内してやると言うのだった。それはありがたい。

4.風待食堂と増毛神社
駅から港の方へ下がった所だったのだろうか、2階建ての大きな倉庫のような建物があり、叔父さんはその前で立ち止まった。ここが「風待食堂」なのだと言う。烏丸せつこが給仕役で出てくる食堂だった。烏丸せつこは指名手配されている根津甚八の妹で、多少頭が足りないという役だった。男なら覚えているだろう、彼女は可愛らしいグラマーな女性だったから。なぜ、「風待」食堂なのかというと、風が出ると増毛から雄冬に出る船は欠航になる。雄冬は道路では繋がっていないのだ。風の具合を見て、船を待つ食堂だから、こういう名前になっているのだ。そうか、この無愛想な倉庫が風待食堂だったのか、と納得する。
「映画の終わりの方で、初詣に行く場面があるでしょう。増毛神社」。「あれは、そうでないの。ずっと内陸に入った神社なんだよ、本当は」。と今度は叔母さんが教えてくれるのだった。そりゃ、そうだろう、「映画だもんね」。と応じた。
撮影は冬だったろうと思う。高倉健が倍賞千恵子のやっている店に入って、「紅白」を聴くと言うシーンがある。窓の外を見ると雪は海面に深々と降っている、というシーンだ。彼らはどういう振る舞いだったのか、冬の増毛、それも外のカットで、と聞くと、いつの間にか叔父さんに加えて叔母さん達も結構集まっているのだった。
「健さんは偉いんだよ。風邪ひいて調子悪そうだったけど、休まないんだから。朝、キッチリ出てくるの」と叔母さん、叔父さんも「倍賞は大人しいけど、芯が強そうで」と言うのだった。ともかく主演のこの2人の印象が強かったらしい。烏丸や根津の話は出ないのだった。

5.砂川駅構内
その根津甚八は指名手配で追われている役なのだが、妹の烏丸の所には時々連絡が入っているらしい。薄々それに気づいている刑事達は烏丸にカマをかけるのだが、彼女は全く反応を示さない。知恵遅れの薄ら馬鹿を装っているのだった。それが砂川駅に行くらしいとなって、兄貴となんらかの連絡がついたのに違いないと判断し、警察官が多数詰める事になる。場面は砂川駅のだだっ広い操車場。動く影を追ってサーチライトが点灯し、根津を追いかけ回す。この場面は迫力満点で、必死に逃げ回る根津の演技も抜群だった。根津は地味な役者だったが、演技は上手かった。見ている時はそうかと呑気に見ていたが、あれは演技で逃げ回る方も大変、それを追っかけて絵を撮る方も大変だったと思う。全体に通底する「静のシーン」に対する、「動の味」が効いていた。

6.大晦日、桐子
暮れに帰って、故郷で正月を迎えるという道警の刑事にして、オリンピック選手の高倉の目論見は、雄冬への船の欠航で断念せざるを得なくなる。仕方なく「風待」から出て彼は燈がついてる飲み屋「桐子」の暖簾を潜る。そこに倍賞千恵子の女将がいたのだ。映画だからその様に運ばざるを得ないが、こんな辺鄙な、場末の飲み屋に倍賞のようないい女がいる訳はない。冷静に考えるとそうなるが、映画を見ている分には不自然とも思わないのだから不思議だ。
晦日の、それも船が欠航になるような日には客は誰もいない。カウンターに座って、ママと差し向かいになって、脇にある小さなテレビを見る。大晦日だから、番組は「紅白」で歌謡曲が流れている。昔はそうでした。どこの国の曲か分からないような歌は紅白では歌われ無かったのだ。
カメラは2人からパンして、窓の外へ。暗い海面に雪が斜めに降り注いでいる。普通の人間は海に雪が降る、というような風景にお目にかかることはないだろう。監督、降旗康男の演出は冴えていて、北国の寒く凍えるような黒い海と、そこに降りし切る白い雪をかなり長い間見せ、それを眺める孤独な男と女のやるせない気持ちを映し出す。こんな、海に降る雪が綺麗なシーンは前にもその後にも見た事がない。ここに音が入って、「舟唄」となる、八代あきの。この歌は大ヒットした歌で、八代あきの代表曲になっている。だが、待てよと立ち止まると八代あきは、八代(やつしろ)の出身で九州人なのである。こういうつまらない事にこだわり始めると、高倉健も福岡の九州人であったことに気づく。倍賞は東京だが、駅という映画は九州人が主演し、九州人のテーマソングが流れるドラマなのだ。さらに詮索すると、この映画の原作者、倉本聰は、倍賞と同じ東京人。そうか、このドラマは北海道を舞台にした九州人と東京人の映画だったのか、となる。

7.増毛再訪
今回は、駅ーSTATIONを書いた。普通には同じ北海道が舞台で鉄道のドラマと言うと、「ぽっぽ屋」を思い浮かべるかもしれない。だが、出来が違うと言いたい。勿論、北海道フアンだからぽっぽ屋の「幾寅駅」にも行っている。幾寅は山の中の駅で、増毛の様な情感には乏しい。それに加え、俳優陣が貧弱だったし、何よりも高倉が歳をとっていて動きがない。
今、増毛や留萌の駅は廃線後どうなっているのだろう、と時々思う。また行ってみたいと考える。次の年に231号線が雄冬峠を越えて増毛まで行った時の事を思うと、辞めた方が、とも思う。車で行った雄冬はただの寒村にしか見えなかったから。
なかなか行けない。映画では海に雪が降る増毛の店で健さんが風待ちをしていた。雄冬がどんな所かも映されない。どんな風景だろうかと勝手にイメージを膨らませる、それを支えてくれるのが映画なんだろう。

東京大学名誉教授 篠原 修

博士(工学)
昭和43年 東京大学工学部土木工学科卒業
昭和46年 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了; (株)アーバンインダストリー入社
昭和50年 東京大学農学部林学科助手
昭和55年 建設省土木研究所道路部主任研究員
昭和61年 東京大学農学部助教授(林学科)
平成元年 東京大学工学部助教授(土木工学科)
平成 3年 東京大学大学院工学系研究科教授(社会基盤学専攻)
平成18年 政策研究大学院大学教授、東京大学名誉教授
平成23年 政策研究大学院大学名誉教授、GSデザイン会議代表、エンジニア・アーキテクト協会会長;現在に至る

著書
「土木景観計画」、技報堂出版、1982;「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版、1985;「水環境の保全と再生」(共著)、山海堂、1987;「港の景観設計」(編、共著)、技報堂出版、1991;「橋の景観デザインを考える」(編)、技報堂出版、1994:「日本土木史」(共著)、技報堂出版、1994;「土木造形家百年の仕事」、新潮社、1999、土木学会出版文化賞受賞;「都市の未来」(編、共著)、日本経済新聞社、2003;「土木デザイン論」、東京大学出版会、2003、土木学会出版文化賞受賞;「都市の水辺をデザインする」(編、共著)、彰国社、2005;「篠原修が語る日本の都市 その近代と伝統」、彰国社、2006;「ものをつくり、まちをつくる」(編、共著)、技報堂出版、2007;「ピカソを超える者はー景観工学の誕生と鈴木忠義」、技報堂出版、2008;「新・日向市駅」(編、共著)、彰国社、2009;「まちづくりへのブレイクスルー 水辺を市民の手に」(編)、彰国社、2010;「河川工学者三代は川をどう見てきたのか: 安藝皎一、高橋裕、大熊孝と近代河川行政一五〇年」、農文協プロダクション、2018