車で車内を走っていると、思いがけない橋の名に出合う。それがその地にぴったり合致していると、思わずにんまりしてしまう。
旭川市から高規格道路(旭川―紋別間)を北上して愛別町に入ると、いきなり「エノキ橋」という橋に出合う。さぞかしエノキがたくさん採れる場所なのだろう、と思いつつ進むと、おやっ、こんどは「シメジ橋」、続いて「マイタケ橋」が現れた。いずれも橋長30㍍前後のどこにでもある橋だ。
このあたり上川管内愛別町内で、きのこの生産量が全道一を誇り、“きのこの里”とうたわれているそうで、毎年、季節になると、遠く札幌方面からも、家族連れできのこ採りにやってきて、賑わうのだという。
橋の名付け親はだれなのだろう。愛別町役場に問い合わせてみると、
「開発局から町に任せるというので、きのこの名産地にあやかって名付けました」
と説明してくれた。なるほど、そうか、と合点した。
空知管内北部に位置する芦別市は「星の降る里」を標榜する空のきれいな街で知られる。国道38号と道道452号が交差するあたりにJR根室線芦別駅、そのそばに星の降る里百年記念館があり、近くを流れる空知川に架かる橋が「星の降る里大橋」だ。七夕の一夜を連想させてくれる。
それにしてもこの「星の降る里」のネーミング、かつての産炭地を払拭して余りあるロマンチックな響きを持つ。そのせいもあってか、環境庁(現環境省)の「星空の街108選」に選ばれ、同庁主催の「星空の街・あおぞらの街」全国大会が同市で開催されるなどで脚光を浴びた。ご同慶の至りといえる。
国道38号を走って滝川市に出て、国道12号に折れて南進すると砂川市内に至る。と、突然、「義経橋」と弁慶橋に出合った。橋桁には京の五条の牛若丸の絵まで刻まれている。まぜここに義経、弁慶が、と思われようが、これ、市内を流れるペンケウタシナイ川の「ペンケ」が発生源。変じて弁慶となり、そこから義経が生まれたというわけ。
砂川の語源を辿ると、地名の面白さがよくわかる。この地を流れる石狩川にあやかり、アイヌ語で、ウタシナイ。砂・多い、川の意から、そのまま意訳して砂川とした。この砂川の上手からペンケウタシナイ川とパンケウタシナイ川と呼ばれる二つの川が並列して石狩川に注いでいる。上を流れる町はこの川の名のペンケを除いてそのまま歌志内と名乗り、下を流れる町は、川の名からではなく、砂川の上手に位置するとして、上砂川と名乗った。
砂川といい、歌志内、上砂川といい、石狩川から派生した地名なのは間違いないが、改めてその時代を生きた人々の英知を感ぜずにはいられない。
ここで、ちょっと首をひねったのが砂川市内の「弁慶橋」の標識と並んで立つ「ペンケスナ川」の標識。いや、これはいけません。川の名を勝手に変えたことになりますよ。
義経橋(著者撮影)
「弁慶橋」と並んで見える「ペンケスナ川」の標識(著者撮影)
ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。