小雪舞う日、名カメラマン逝く
 ノンフィクション作家 合田一道

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 かつて北海道新聞社の名カメラマンとして活躍した後山一郎さんが亡くなった。享年九十。東京にいる孫娘の結婚式に顔を出し、札幌の自宅に戻った翌朝、起きがけに新聞紙上で知り、思わず身体を震わせた。三月半ばだというのに、窓辺に小雪が舞っていた。
 後山カメラマンとは年齢が近いせいか、思い出は数限りなく多い。同じ時期に旭川支社に勤務し、三浦綾子さんの連載小説「泥流地帯」が始まる前から、三浦夫妻を撮り続けた。綾子さんが亡くなった時、夫の光世さんの許可を得て、その表情まで撮影した。
 勤務の終盤はともに編集委員になり、日曜版の取材でしばしば同行した。一番の思い出は三週間に及ぶフランス取材。印象派画家が描いたパリ近郊の作品の舞台をめぐるもの。
 印象派研究家でパリ在住の佐々木綾子さんの案内で、ゴッホ、マネ、ピサロ、ルノワール、ミレー、モリゾ、ドガ、スーラ、モネ、セザンヌ、ロートレック‥ の作品の舞台を回った。ちなみに運転手役の夫君は在仏日本大使館職員なので、何とも心強い。
 ゴッホの絵画「オーヴエールの教会」の舞台は小雨だったが、若いカップルが傘の下で抱き合っている。後山カメラマンがすかさずシャッターを切った。この写真が道新の連載第一回を飾り、異彩を放つスタートとなる。
 ミレーの「晩鐘」の舞台も生憎の空模様だったが、付近に年配の父と娘が佇んでいるのを見かけた。頼んでポーズをとってもらい撮影に成功。この写真は連載だけでなく、書籍化された時は、表紙にもなった。
 退職後はなかなか会うことができなかったが、数年前から自分が撮影した写真をどうするべきか何度も相談された。中でも三浦綾子さんの写真はともに取材した関係もあり、頭を悩ませた。結局、三浦綾子文学記念館や北海道文学館へ寄贈する方法をとったが、まだ処分しきれなかったものが残されたに違いない。
 仕事に厳しく、妥協を許さない人だったのに、私には「こんなのが撮れた。使えるなら使って」と何枚もの写真を送ってくれたりした。感謝して拙著に使わせてもらった。
 忘れられない思い出がある。三浦さんが亡くなった時、後山さんは夫の光世さんの許可を得て、綾子さんの顔写真を撮影した。立会人は小生。ぴりっとした緊張感に震えた。あの最期の写真はどうなったのだろうか。いや、これは詮索しないほうがいい、と他事ながら考える。窓辺はまだ小雪‥。

「幼な児のごとく 三浦綾子文学アルバム」の表紙(著者撮影)

合田一道(ごうだいちどう)

ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。