標高62㍍のモエレ山の頂上に立って、「大地の彫刻」といわれる公園を一望する。思いのほか、冷気を孕んだ風が強い。三日月湖(モエレ沼)の内側の約100㌶に、鮮やかな直線と優美な曲線が様々に交差する幾何学的な景観が広がる。20世紀を代表する世界的な彫刻家、故イサム・ノグチの遺作「モエレ沼公園」(札幌市東区)である。
陽光を反射するガラスのピラミッド、カラマツ林に囲まれた海の噴水、独特のフォルムを見せるプレイマウンテン(遊び山)……。
イサムがこの地を初めて訪れたのは1988(昭和63)年3月のこと。知人の紹介で札幌での公園計画に携わることになった巨匠は、いくつかの候補地を見た後、不燃ごみの埋め立てが続いていたモエレ沼に足を踏み入れ、その場で「彫刻としての公園」の舞台に決めたのだという。悠久の時間と空間を意識し続けたイサムは、太古のように蛇行する三日月湖に囲まれた一帯に立って、どんなインスピレーションに打たれたのか。
アメリカ、日本、イタリアなど世界各地に制作拠点を持ち、彫刻だけでなく、陶芸や照明器具、庭園のデザインなど、幅広い活動を続けていたイサムは、溢れるエネルギーを注いでマスタープランを描き、その年の11月には模型が完成する。
イサムノグチの心を動かしたモエレ沼
中核となるプレイマウンテンは、彼が20代のころに「大地を彫刻する」という閃きに突き動かされ、ニューヨーク市に提案しながら却下された構想だ。それから55年、温め続けたものが現実になる時がきていた。
だが、その翌月、イサムはニューヨークで急逝する。計画のとん挫も危ぶまれたが、札幌市は事業の継続を決断し、イサムと仕事をしてきた建築家やデザイナーらが、遺された模型や各地の作品を読み解きながら、17年後のグランドオープンにこぎ着ける。もちろん、平坦な道のりではなかった。イサムの遺志を現実にするために、例えばモエレビーチに化石サンゴの舗装を施すなど、素材を厳選し、妥協せず、技術を駆使した。
この公園を、あるいは鳥の目を持って空から見れば、もっと「理解」できるのかもしれない。だが、マスタープランに遊具エリアを描いていたイサムは「これは背丈90㌢の人間が走り回る世界」と語っていたという。「子どもたちは遊具で遊ぶと、やがて小路の先に別の遊具広場を見つけて一斉に移動することになりますよ」と。子どもの未来を常に気にかけていたイサムは、この公園の中を駆け回る小さな眼差しを強く意識していたのだろう。
プレイマウンテン頂上への緩やかな園路
50代のころ、イサムはインタビューでこんな言葉も残している。
「ぼくらが自分といっしょに持ち歩くのは、子ども時代、かつて一日一日に世界を発見するという魔法が宿っていたときの思い出だ」
誰しも、幼い日の魔法の力はいつしか薄らいでしまうものだろう。しかし、今は巨匠の魔法に身をゆだねて自らの遠い日を蘇らせ、理解や解釈などしようとせずに、五感で何かを感じるだけでいいのかもしれない。
目の前で、幼稚園児の一団が歓声をあげて走り回っている。この景観を瞳に映したあの子どもたちは、将来、どんな創造の担い手になってゆくだろうか。
モエレ山に沈む夕日とガラスのピラミッド
<モエレ沼公園の概要>
面積約189ha(内陸部約100ha)の札幌市最大の総合公園。ゴミ処理場として用地を取得し、1982(昭和52)年にゴミ埋立の終了箇所から公園整備に着手、2005(平成17)年全面開園。
文・写真
秋野禎木(あきの・ただき)
元朝日新聞記者/現北海道大学野球部監督
1959年生まれ、北海道小平町出身