タウシュベツ川橋梁
「削られながら美しく」
 文 谷村志穂 写真 佐々木育弥

公開

 タウシュベツ川橋梁は、これまで二度訪ねている。
 一度目は、北海道のHBCで放送されていた「大人のドライブ」という番組の案内役として、2015年夏、その旅の目的地とした。
 林道を進み近くに車を停めて、ダム湖のほとりであるごつごつした岩場へと進んでいくと、思わず、「えーっ!?」と、間抜けな声が出た。まるで、太古の光景かと見紛うような、原始的にも思えるモノトーンの光景。
 こちらから、向こう岸へ、灰色の橋は、アーチを等間隔に連ねて神殿のように伸びていた。その時は夏で、橋桁は少し水に沈んでいたのだが、全長130メートルに整然と並ぶアーチの連なりは見事に見ることができ、当初神殿のような違和感を覚えた橋が、次第に周囲と溶け合って感じられるようになり、恐竜の骨のようにも思えてきた。ダム湖そのものが生き物で、それにまっすぐ伸びた巨大な背骨のようだった。

 実は出かける前には、資料として、色々な季節の写真を見せてもらっていた。タウシュベツ川橋梁は、元来その頂部に線路が通り鉄道が走っていたわけだが、すでに使われなくなって、その当時で60年近くが過ぎていた。言ってみるなら、一度は十勝を流れる雄大な音更川に堂々と渡されていたはずが、いつしか、人々に見捨てられてしまった橋だ。建設された糠平ダムの湖の中に沈む運命で放置されたのだが、この橋は、四季折々顔を出す。冬には水位が下がり、雪原となったダム湖の中に全身を現す。凍結に耐え、春の雪解けの際には橋の表面も、がりがりと削られながら溶けていくそうだ。

 夏から秋にはダムの水位が上がり、ほとんどその全身を沈める時期もあるはずが、私の前には、まだ沈みゆく手前のアーチ橋が伸びていた。
 テレビクルーは比較的若く、皆、撮影が終わってもすぐにはその場を去りがたいように、めいめい自分のカメラなどで写真を撮っていた。
「ここへ来るのは実はもう二度目なんです」
と、記憶を話す者もあれば、ほとりに座って、ひたすらじっと見つめている者もあった。その中の一人が、フォトグラファーを志していて、自分の作品撮りにもう一度来たいと、その場で決めた。当時モデルクラブに所属していた私の中学生の娘に、制作したドレスを着せて作品撮りをしたいと言うので、私も見物に同行することにした。回りくどい話なのだが、それが二度目の来訪。

 二度目の時には、空が一段と高く、秋の気配が広がり始めていた。橋は、斜めに角度をつけてすっかり沈んでおり、アーチは全て隠れて、橋の頂部だけが、長い二等辺三角形になってかろうじて姿を見せていた。無音を越えた静寂の雰囲気が、そこには漂っていて、今度は恐竜ではなく大きな鯨の背骨のようにも見えた。
 近くにはヒグマの足跡があり、静寂を破るように、新人のフォトグラファーは大きな音楽を流しながら撮影した。若い娘の長い黒髪と、用意されたシフォンの布地が、風に舞っていた。

 私の役は、撮影助手だが、何かと要領を得ない。誰もが何とも言えず素人っぽかったが、橋はそんなすべての人間の行いも、微笑みながら受け止めてくれているようにも感じさせた。橋はすでに、ところどころに崩壊が始まっており、孤高、哀切、様々な表現も似合うはずなのに、辛抱強い北国のおじいさんのように、その場の骨と言うより、気骨を現しそこにおり、どこか優しくも見えた。
 その際撮影された写真は、アマチュアフォトグラファーの競う賞を受賞、全国のあちらこちらで展示されたようだ。アーチが見えていないのが、むしろ幻想的に感じられる一枚になっていたのかもしれない。

 旧国鉄士幌線は、戦前の1925年(大正14年)に開通し、当初は帯広駅―士幌駅間を走った。全長は30.1キロ、地域の賑わいを創出する立役者だった。この線は、十勝の農作物や、大雪山から切り出される木材を運ぶ重要な線となり、戦後にかけては最長で80キロメートルにまで延伸されている。線路は、十勝の北部、山深い場所で音更川に沿って延ばされていったために、延伸のたびに川を渡る橋がかけられていき、タウシュベツ川橋梁も、1937年(昭和12年)に完成している。

 この線のために順に架けられていった橋。その総数には、当時の威勢が感じられる。
 なんと、戦前で29橋、戦後で20橋、合計で49もの橋が、十勝の渓谷の中に造られていったのだ。そのほとんど全てがアーチ橋。アーチの数は、川の流れに合わせて様々だが、アーチで揃えられているのは偶然ではなく、音更川の流れる渓谷美に相応しいと、開線の当初から決定されていた方針だったという。
 橋梁建設の材料には、現地の砂利や砂が用いられ、ほぼ全てがコンクリート製。タウシュベツ橋梁も同様だが、風化著しい今は、石造りにしか見えず、そう思い込んでいたのは、私だけだろうか。
 渓谷を流れる音更川に、延49も渡された橋梁群なのだが、実はタウシュベツだけではなく、今も大型のアーチ橋が12橋も残っているのは、まだあまり知られていないかもしれない。これらは旧士幌線橋梁群と名付けられて、上士幌町が取得し、保存されている。
 十勝の山間部を車で走っていくと、突然頭上に現れる、大型アーチの橋たち。蒸気機関車を走らせるために、順番に架けられていった橋が、1987年(昭和62年)の全線廃線までの間に、順に役割を終えられていった。
 糠平ダムの建設でタウシュベツのように沈む運命を引き受ける橋もあったが、士幌線自体が、森林資源の枯渇や、国鉄から国道への交通網の変化も理由となり、縮小していき、次第に廃線へと向かったのだ。
 そうと決まれば、線路や駅舎までが跡形もなく、消えてしまうのがこの国では常だ。
線路や枕木は、資源として売られていく。だが橋はと言うと、コンクリート製だったために、経済価値が乏しく解体して売られることがなかった。
 1998年には、国鉄清算事業団自体が解散することになり、その前年、上士幌町に対して、士幌線の橋梁群の解体撤去の申し入れをしている。地元は、これに反対した。北海道産業考古学会などからの働きかけもあり、有志が立ち上がり、これらの保存に乗り出す機運が高まっていった。上士幌町議会は、1998年に入り、国鉄清算事業団の解散を目前に、橋梁群を取得し保存すると大英断を下す。今もタウシュベツ川橋梁を見ることができるのは、この決定があったからだ。

 これらの橋、タウシュベツに限らず、実はいずれも見応えがあるようで、橋梁群を見に出かけるツアーなどが組まれているのは素敵なことだ。音更川渓谷を見下ろすようにかかった大アーチ橋、第三音更川橋梁橋などは、その上を、蒸気機関車が、空に煙を吐きながら通過していた時代をきっと連想させるに違いない。
 戦前から戦後へ、繁栄や復興を信じて橋の建設をした人、蒸気機関車に材を積んだ人、機関車を操縦した人々たちの熱気をも想像させる。アーチ橋の、そんな圧倒的な存在感。
 歴史の貴重な断片である。

音更川第3橋梁(撮影:小町谷信彦)

 また今では明確になったことの一つには、建設当時、このような大きなアーチ橋は全国にもほぼ例がなく、以後のアーチ橋建設の先駆けともなったそうだ。「山岳鉄道線」は、その後増えることが予想され、私には専門的なことはわからないが、皆、志を持って橋造りにあたったことが、さまざまな資料に残されていた。土木遺産の価値も高く、橋梁群は毎年多くの人を惹きつけているのを改めて知った。
 コンクリートの橋が、森の木々に覆われながら、この先いつまで渓谷の中に存在し続けるのかわからないが、湖への浮き沈みを繰り返すタウシュベツだけは、崩壊までの時間が限られていると言われる。
 それでも、風雪に耐え、雪解けのたびに削られながらもそこにあるのは、どこか北海道の人たちの気質にも似ている。
 あの橋は、今この時、果たしてどんな姿でいるのだろう。

<交通アクセス>

【車】上士幌市街地~タウシュベツ展望台 [約30㎞・約30分]
帯広~タウシュベツ展望台 [約70㎞・約1時間20分]
札幌~タウシュベツ展望台(道東自動車道経由)[約250㎞・約3時間40分]

谷村 志穂 (たにむら しほ)
作 家

<略歴>
1962 年 10 月 29 日北海道札幌市生まれ。
北海道大学農学部にて応用動物学を専攻し、修了。
1990 年ノンフィクション『結婚しないかもしれない症候群』(角川文庫)がベストセラーとなる。
1991 年に処女小説『アクアリウムの鯨』(八曜社/角川文庫)を刊行し、自然、旅、性などの題材をモチーフに数々の長編・短編小説を執筆。 紀行、エッセイ、訳書なども手掛ける。
2003 年南北海道を舞台に描いた『海猫』(新潮社)が第 10 回島清恋愛文学賞を受賞。
現在、北海道観光大使・函館観光大使・七飯町観光大使を務める。
代表作に『黒髪』(講談社)、『余命』(新潮社)、『尋ね人』(新潮社)、『移植医たち』(新潮社) など。
道南を舞台に他にも『大沼ワルツ』(小学館)、『セバット・ソング』(潮出版)などがある。
最新作は『過怠』(光文社)。
作家としての活動の傍ら豊富な取材実績を活かして旅番組などの出演も多数。

 

佐々木育弥(ささき いくや)IKUYA SASAKI

写真家
北海道上士幌町生まれ。東海大学芸術工学部くらしデザイン学科卒業。曽祖母の死をきっかけに写真を通してできる「人とのつながり」に心を打たれ、独学で写真活動を開始。自身のプロジェクトとして「障害のあるアスリート写真展」を企画・発表。広告・雑誌など幅広く手がけ、無印良品・SUBARU・NEC・新建築社・LIXIL・CCCメディアハウス(PEN・フィガロ・単行本)・マガジンハウス・美術手帖・AIR DOなど実績多数。北海道文化財団「君の椅子プロジェクト」から生まれた書籍『「君の椅子」ものがたり』や「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄 30周年記念カレンダー」、現在大規模改修工事中の北海道庁赤れんが庁舎実物大写真シートの撮影など、北海道の魅力を発信する仕事にも力を入れている。
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