二十間道路
「サクラ並木に匂う歴史の光と影」
 文 合田一道 写真 佐々木育弥

公開

 サクラの季節になると思い出すことがある。二十歳(はたち)で海軍軍人として出征した従兄が、戦闘の挙げく沈み行く軍艦と命運をともにした。遺体のない葬式が催されると聞き、小学六年生の私は、斎場となる大叔母宅に向け、夢中になって駆けた。
 町沿いの小高い山に、サクラの花が咲いていた。五月も半ばだというのに、なぜか小雪が舞った。従兄の霊だ、そう感じた。
 今年も桜の季節が巡ってきた。コロナ禍に煽られて丸3年。やっと回復のきざしが見えてきたので、“日本一の桜の名所” と讃えられる静内二十間道路サクラの見物に出かけた。
 車で2時間余り走って到着。小雨模様なのに結構な人出だ。

 「さくら名所百選」にも選ばれた二十間道路(幅員36メートル)の真ん中に立つ。道の両側に約2,200本ものサクラ並木が約7キロメートルにわたり 延々と咲き連ね、あまりの壮観さに息を呑んだ。この見事なサクラ並木はどんな経過で生まれたのだろう。
 話は北海道開拓が始まって間もない1872年(明治5年)に逆上る。開拓使次官(長官不在で事実上のトップ)の黒田清隆は、日高地方が馬の品種改良や飼育に最も適していると判断し、野生馬を捕えて飼育、改良を勧めた。その一方で、皇族が用いる優良馬を育成する目的で種畜牧場を創設した。同牧場はやがて軍馬の生産にも乗り出す。現在の独立行政法人家畜改良センター新冠牧場である。

 1903年(明治36年)、突然、皇族の牧場訪問が伝えられた。牧場側は急ぎ「行啓道路」を造成しようと、牧場を横断する形で、幅二十間(36メートル)、全長二里(8キロメートル)の大規模な直線道路を総がかりで敷設した。二十間道路の誕生である。
訪れた皇族は、原野に延々と連なるこの道路に、驚きの目を見張ったという。以来、二十間道路は皇族や高官らが訪れるたびに用いられ、華やかな雰囲気を醸しだした。
 時移り1916年(大正5年)、二十間道路をサクラ花で飾ろうという話が持ち上がった。牧場の官吏や従業員らが、近隣の山からエゾヤマザクラを根から掘り起こして運び、沿道の両側に一本、一本、移植していった。作業は3年がかりで続けられ、サクラ並木ができ上った。やがて季節になると美しい花が咲き誇った。
 誰言うとなく「二十間道路のサクラ」と呼ばれるようになり、昭和戦前から戦後にかけて、毎年サクラの季節になると、周辺から人々が訪れて、花見を楽しむ名所になった。
 初めて「二十軒道路サクラ並木まつり」が開催されたのは1964年(昭和39年)春。会場は活況を呈し、呑めや歌えの賑やかさ。以来、年を追うごとに人気は高まり、1992年(平成4年)は入り込み人数28万6,200人を記録した。最近はコロナ禍の影響で減少したが、それでも2023年(令和5年)は7万人余りが訪れた。

 花の香が漂う二十軒道路を歩いた。風が心地よく吹き抜ける。時折、女性グループの甲高い声が響き、祭り気分を盛り立てた。ゆっくり歩いて道路の外れに建つ家畜改良センター新冠牧場の龍雲閣を訪ねた。木造一部二階建て二層の御殿作り。皇族や高官らの賓舎として1909年(明治42年)に建設されたもので、祭りの期間だけ公開中という。
 屋内の一室に枢密院議長伊藤博文の書が掲げられていた。伊藤は龍雲閣が建設された年の八月、韓国皇太子李垠(りぎん)を伴い来訪した。視察後、宴席で、勧められるままに漢詩を書いた。

伊藤博文

即是神州冀北隅(これすなわちしんしゅうきほくのすみ)
馬群幾隊掠天来(ばぐんいくたいてんをかすめてきたる)
皇謨偏喜及辺牧(こうぼひとえによろこぶへんぼくにおよべるを)
更見草来追日開(さらにみるそうらいのひをおいてひらく)

 意味は、わが国の北の隅で、数多くの優秀な馬が育っている。天皇の計らいによる牧場が日を追って開かれていくのは喜ばしいことだ、というもの。
 だが伊藤は、この書の一行目の「北」の文字を欠落させたほか、最後の行の「更見」を別の文字に直そうとした。そこで書き損じたこの書を持ち帰り、改めて清書して後日郵送すると約束した。だが翌朝、牧場の担当者が伊藤の乗った馬車が出発した直後、追いかけて、無理に願って原書を貰い受けた。
 伊藤は約束を果たせぬままその二か月後、清国(中国)を訪問中、ハルビン駅で韓国人安重根に射殺される。結局、無理して貰い受けたこの書が “絶筆” として残された。
 伊藤亡き後、わが国は朝鮮を併合し、日中戦争から太平洋戦争へと突入していき、多くの人々がその渦に巻き込まれた。あれから八十年。世界はいま、ロシアとウクライナの戦争に揺れている。
満開のサクラの花々に、心の中で世界が平和でありますように、と祈りつつ、遠き日の従兄の “雪の思い出” を嚙みしめた。

龍雲閣に展示されている伊藤博文の書

<交通アクセス>

【車】静内バスターミナル(旧JR静内駅)から約15分;札幌市中心部から約2時間30分

合田一道(ごうだいちどう)

ノンフィクション作家
1934年、北海道空知郡上砂川町出身。佛教大学卒。
北海道新聞記者として道内各地に勤務。在職中からノンフィクション作品を発表。
主な作品は、『日本史の現場検証』(扶桑社)、『日本人の遺書』(藤原書店)、『龍馬、蝦夷地を開きたく』(寿郎社)、『松浦武四郎北の大地に立つ』(北海道出版企画センター)など多数。札幌市在住。

佐々木育弥(ささき いくや)IKUYA SASAKI

写真家
北海道上士幌町生まれ。東海大学芸術工学部くらしデザイン学科卒業。曽祖母の死をきっかけに写真を通してできる「人とのつながり」に心を打たれ、独学で写真活動を開始。自身のプロジェクトとして「障害のあるアスリート写真展」を企画・発表。広告・雑誌など幅広く手がけ、無印良品・SUBARU・NEC・新建築社・LIXIL・CCCメディアハウス(PEN・フィガロ・単行本)・マガジンハウス・美術手帖・AIR DOなど実績多数。北海道文化財団「君の椅子プロジェクト」から生まれた書籍『「君の椅子」ものがたり』や「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄 30周年記念カレンダー」、現在大規模改修工事中の北海道庁赤れんが庁舎実物大写真シートの撮影など、北海道の魅力を発信する仕事にも力を入れている。
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